<2016年7月>
総勢20名足らずで発足した「立教観光クラブ」は、2016年創立55周年を迎え、会員数3000人を誇る歴史ある校友会組織に成長しました。ホスピタリティの立教精神を礎に、今日までの隆盛を築き上げたその成長の軌跡を歴代会長の話をもとに振り返ります。
出席者
第9代会長 (2002年就任) 清水 誠 1966(昭41)経卒 日本旅行OB
第10代会長 (2004年就任) 荒井 詔二郎 1967(昭42)経卒 ホテル メトロポリタンOB
第11代会長 (2006年就任) 伊藤 守 1974(昭49)観卒 毎日コムネット 代表取締役社長
聞き手・編集
塚田 忠保 1981観卒 (第13代 現会長 2014~)グランドニッコー東京 台場
柳川 悦子(1981営卒)/吉田 久満(1984経卒)/齋藤 陽子(1995観卒)
<2016年6月23日 立教大学 ・セントポールズ会館にて>
「総会での歴代会長からのご指摘に緊迫した一瞬」
柳川:まず、みなさまが会長をされていた時に、一番心に残っている思い出や出来事をお聞かせください。
清水:私が一番強烈に覚えていることは、観光クラブの総会で白石元会長が真っ先に手を挙げられて、質問をされたことですね。
柳川:その時どんな質問をされたのですか?
清水:たしか、紙媒体で発行していた「観光クラブニュース」のことでした。当時ちょうど、ネットが普及しはじめていて、僕が「紙媒体で印刷して郵送するというのは、お金もかかるし、時代遅れじゃないか。」というようなことを発言したんですよ。それを聞いた白石さんは、「いや、会員はいろいろな人がいるので、よく考えたほうがいい。」というニュアンスの発言をされて、僕にとってはショックでしたね。当時は、200名を超える会員が集まって、ものすごく活発な総会と懇親会をやっていた時代でしたが、私の2回目の総会を行った「フォーシーズンズ椿山荘」で、そんな白石さんとのやりとりがあったんです。普通、総会って30分くらいで、とんとんといくじゃないですか。そこで「はい」って、白石さんの挙手があって、ドキドキと・・・。
柳川:実は私は、白石先輩が会長のときに運営委員会のメンバーに入れていただいたんです。それで、総会に参加したときにお歴々の先輩がいらっしゃるなかで、白石先輩がさっと手を挙げられて何か発言されると、全員がもう「何かあった?いけないことでも・・?」っていう、もの凄い緊張感が走ったことを覚えています。
清水:そうですね。いろんな状況において白石さんの印象っていうのは非常に強いですね。とにかく、白石さんにはいろいろなことをよく教えていただきました。
「還暦の誕生日に会長就任。還暦のお祝いに赤いネクタイのプレゼント」
柳川:清水先輩の後は、荒井先輩が引き継がれましたよね。
荒井:僕は平成16年7月から18年6月の2年間なんですね。僕の60歳の誕生日、ちょうど還暦を迎えた7月8日に総会があり、その日に会長に就任したんです。それで3人の女史、石坂惠子さん、・山田順愛さん・柳川悦子さんから、還暦ということでお祝いに赤いネクタイを頂戴しました。それが非常に印象に残っていますね。
柳川:還暦のお誕生日に会長に就任されたんですね。
荒井:僕は、59歳のときに、第一ホテルグループからメトロポリタンに移ったんですよ。まだ移って間もないのに、「立教観光クラブ」会長就任の話があったから、「これはまずいな」と。一応、JR東日本から「このホテルをちょっと変えろ」と言われて来ていたので。これからという時に会長という仕事を引き受けてしまって・・・。当時JRから来ていた社長に相談したんです。そうしたら「そんなこと気にしないでぜひやってくれ」って言っていただいて。「じゃあ2年間だけ時間ください」というやり取りがありました。
柳川:それで、荒井先輩が会長になられてから、ホテル メトロポリタンで、少ない会費にも拘わらず、華やかに総会・懇親会をひらくことができたんですね。
「時代の変化とともに、『観光クラブ会員名簿』は、冊子発行から、ホームページでの展開へ」
柳川:その後、伊藤先輩にバトンタッチされましたね。
伊藤:僕が一番印象的だったのは、観光クラブの規約にあった「名簿の発行」の件ですね。当時の名簿は広告収入で発行費を賄っていたのですが、その頃から、地方の旅館の経営が厳しくなってきていたんです。それで、頼みの綱の広告収入が入ってこなくなり、個人情報の問題もあり、「名簿を発行しない」ということを、総会で決議取らなきゃいけなかったんです。結果、皆さんご理解いただきました。それと同時にIT化を並行してやったんですよ。ホームページの制作は、あの当時は結構お金がかかりましたね。それで、だんだん、日本の国家の財政と同じような状況になってきて、「観光クラブニュース」の発行を4回から3回に減らしたりしました。
2007年まで作成されていた、
立教観光クラブ会員名簿
荒井:白石さんの会長時代から、発行していたニュースを見返すと、当時から財政基盤というのは、ずっと課題だったんですよ。その頃は、奨学金で30万円とか出していて、お金が必要だったんです。それで、40周年の記念誌を見ると分かるんですが、僕は広告担当として、5万円の広告を75社集めました。
全員:わあ、すごい。
柳川:あと、その当時の運営委員も全員一人1万円ずつ出しましたね、名刺広告。
吉田:その後、ちょうど50周年、一番お金がない時だったので学食で総会をやったこともありました。「学食である程度リーズナブルに上げて、ちょっと財政を蓄えよう」と。
荒井:本当にいい時期は、ヒト・モノ・カネ・時間に余裕があったんですが、ある時期から急に厳しくなったでしょう。それまでは、結構どこの会社でも航空会社だったらチケットをばんばん出してくれたり、ホテルだったらどこでも1泊2食で出してくれたんですよ。そういうのが今は、非常にやりにくくなったんですね。
柳川:歴代の先輩方の中で、先ほど出た白石先輩以外にも、強く印象に残っている方はいらっしゃいますか?
伊藤:僕は、2代目の8年会長をやられた長谷川小太郎さんです。僕が会社を創立したのが昭和54年なんです。長谷川さんは、昭和52年~60年まで会長やっていますから。もう天皇陛下みたいな方でしたね。
荒井:そうですか。清水さんはいかがですか?
清水:僕も印象に残っているのは長谷川小太郎さんなんです。ある日長谷川さんから会社に電話かかってきたんです。僕は日本旅行の人事が長かったから、「おまえのところの立教のOBのリストはすぐできるだろう。ちょっと持ってこい」って言って呼ばれて(笑)。「立教観光クラブ賞を作るからおまえ手伝え」とかね。
荒井:伊藤さんは、いかがですか?
伊藤:僕は、近源観光の村岸秀雄さんですね。「君、面白いから事務局手伝え」って言われて。
荒井:僕が観光クラブに初めて行ったのは、白石さんの理事会に呼ばれたわけですよ、運営委員会。そしたら、佐藤泰春さんが白石さんの隣に座っていて、それ以降、佐藤さんは出席されていないんです。つまり、佐藤さんと白石さんの切り替えのときから僕は入っているんです。51歳の時だから僕が観光クラブに参加したのは意外と遅いんですよ。だけど、なんか知らなうちに、いつの間にかトップまでいっちゃって。
柳川:ここで、ちょっと、現在の立教との繋がりもお伺いしたいと思います。清水先輩は、メンバーが多彩で伝統ある「湘南立教会」の会長をされていて、荒井先輩も、「アラカワ・セントポールズ・クラブ」の会長をかなり長くやってらっしゃいますね。
荒井:6年目に入っています。規模は小さいんだけど、活動は活発でお金も結構かかります。講演会も毎年やっています。今年は、昭和38年卒の徳光和夫さんにお願いしました。
柳川:伊藤先輩も、「経済人クラブ」の副会長と同時に、「SB会」の会長もなさってますよね。
伊藤:「SB会」は、正式に言うと「セントポール生活文化研究会」ですね。不動産業・建設業・その周辺のサムライ業(司法書士とか行政書士とか弁護士とか会計士)などで構成されてます。今、400人ぐらいいますね。月に1回、主に大学で勉強会をやっていて、結構ビジネスベースで情報交換をやっているから、いいんですよね。若い人も来て、親睦団体と違うところで、みんな真剣なんですよ。
荒井:「観光クラブ」の名簿があった頃は、みんなそれを当てにしていたっていうのもありましたよね。
柳川:名簿を見るだけですごく元気付けられたというか、こんないろんな企業に多くの先輩がいらっしゃったんだと。ウェブにはない何かがありました。
塚田:そうですね。やっぱり、紙面がいいんですよね。手元にある観光クラブ会員名簿をみると、平成19年(2007年)5月発行が最後の版でしたね。
清水:荒井さんはほとんど東京だけど、僕は大阪とか九州とか地方に行ったでしょう。そういう時に名簿が、ものすごく助かるんです。どこへ行っても、すぐ話ができる人がいるわけよ。大阪でも福岡でも、先輩たちが「ああ、よく来た。よく来た。」って歓迎してくれるんです。
柳川:立教の先輩って本当にどこで知り合っても「後輩です」とか言うと、ものすごく良くしてくださる。
荒井:本当にそうだよね。
清水:そういう意味ではこの名簿って、ちょっとふらっと行っても、「立教の同窓だ」って言えば、「よく来たね」っていう話になるわけ。本当にそういう意味じゃすごい僕は助かりましたね。
塚田:では、最後に、55周年を迎えて、後輩へのメッセージをぜひお願いします。
荒井:「立教の観光、観光の立教」というブランドを大事にしてほしいですね。50年前の東京オリンピックでは、選手村の食堂の運営に関して真っ先に立教に声がかかり、ホテル研究会が率先してサポートしたんです。それぐらい、立教の観光っていうのは評価されてきたからね。やっぱり、立教の観光教育っていうのは、ずっと日本の大学の観光教育をけん引してきたんです。その歴史を、立教観光クラブ、立教大学、それからホテル講座(現ホスピタリティ・マネジメント講座)、といったところが一緒になって、つないでいってほしいですね。
塚田:研究ももちろん大事なんですけど、研究と産業を、日本の観光産業と結び付けていただきたいなと思いますね。
清水:やっぱりこれから社会的に立教を売り出していくといったら、やっぱり実業界で力を付けなかったら、評価が上がりませんよ。
伊藤:僕の入学するころは、観光学科って看板だったんですよね。僕は旅行会社の経験もないしお客さんもいないし、何もないところからスタートしたので、観光クラブの方の接点が自分の商売のネタになっていたんですよ。立教の先輩方がいいのは、人数が少ないこともあるんですけども、駆け引きなしに面倒見てくれるんですよ。
荒井:本当に利益も何にも関係なく、後輩っていうだけでもう本当にね。さわやかな人が多いです。
伊藤:それがあったので、感謝のしるしとして会長も引き受けましたし。在学時代よりも今のほうがこのキャンパスに足を運ぶ日数が多いですから(笑)。
荒井:さっきも言ったことなんですけど、「立教の観光」というのは、昭和21年にホテル講座ができて、その翌年にホテル研究会が発足して、さらに社会学部に観光学科が新設され、その後、この観光クラブがスタートして、このクラブを礎に「観光学科」が「観光学部」に改組されたというように、立教は、ずっと日本の大学における観光教育のけん引役を担っているわけです。ですから、もう少しブランドとかそこの強みみたいなものを出さないと。これからの観光クラブの人たちにもね。今のメンバーの人たちも、やっぱりそういうことを理解しての上で観光クラブの運営に当たってほしいっていうのを、本当に思いますね。
清水:この歴史、伝統のある観光学部のみならず、観光の立教を出た人は、ぜひ自信を持ってこの業界で活躍してほしいと思います。みんな応援しますから。だからそこをぜひ、もう一歩前に出てほしいですね。
塚田:歴代会長が築いてこられた観光クラブを、この55周年の節目にきっちりとサスティナブルな組織として固め、次世代に繋いでいきたいと思います。本日は、誠にありがとうございました。